
忍成 修吾 Oshinari Shugo
1981年3月5日生まれ。千葉県出身。1999年に「天国に一番近い男」で俳優デビュー。2001年岩井俊二監督『リリィ・シュシュのすべて』で注目を集める。以降、数多くの映画、テレビドラマに出演。特に廣木隆一監督『雷桜』(10)、『軽蔑』(11)、『100回泣くこと』(13)や瀬々敬久監督『ヘヴンズ ストーリー』(10)『ストレイヤーズ・クロニクル』(15)『64-ロクヨン-』(16)など連続で出演。他に『下衆の愛』(16)でも主人公に振り回される脚本家役を演じ、注目を集めている。
「ひかりをあててしぼる」は、忘れがたい作品であるとともに、いつまでも疑問を投げかけてくれる。
Tabloid Witch Award選評より
一枚隔てたその向こうに同じような箱があり、私はその冷たい壁に今日も耳を押し当てます。
誰の中にも潜む、人間の憎悪と共依存を描いたこの作品は、純粋な白い闇の中を何処までも泳いでいく魚のようで。
尾鰭が破れ力尽きるその瞬間まで、自分の生を全うしたいと改めて実感させてくれました。
崇高に人間臭い坂牧監督の作品に参加できて光栄です。
小南泰葉(ミュージシャン)
「みんな持ってるんだからワタシも欲しい!」デパートやスーパーで良く見かける子供の言葉。かつて自分も似た様な駄々をこねて親を困らせた。大抵欲しいと言ったモノは手中にした途端、その価値を失い部屋の隅に放ってしまう。本当に欲しいモノが何なのか分からぬまま未成熟な大人になり最後は「渋谷 バラバラ」で一発検索できる程度のあっけない終焉。勿論、他人事なんて思えなかった。自分も欲しい。ただ、欲しいのだ。
川瀬陽太(俳優)
いや〜、メチャクチャ怖い映画でした。
そして痛い映画でした。
でも、多くの夫婦がこんなもんなんじゃないかと思った。というかこんなものであってほしいと思った。
まるでオレとヨメさんを見ているようだったから。
足立紳(脚本家・映画監督)
私結構痛いのとか観るの平気なんですが凄い怖かった、、
主演の派谷さんも恐ろしくて。恐怖とか愛情とか憎悪とか日常とかぐちゃぐちゃになって実は究極のラブストーリーなんじゃないかと思えてきたり
木嶋のりこ(女優)
この〈事件〉が他人事だと思ってしまう人間ほど闇が深いだろう。
夫婦だろうが、親兄弟だろうが、友人だろうが、自分以外の人間はすべて「理解不能な生き物」だということをあらためて突きつけられる戦慄のエンターテイメント。
佐々木誠(映像ディレクター/映画監督)
見栄を張り、優越感に浸って生きてきた美しい女が、床に正座しているイケメンに「何でこんな、金も肩書きもない男と結婚しちゃったんだろ?」と吐き捨てるシーンはあまりにグロテスクで、「呪われてる」とさえ思うほどリアルだ。
森下くるみ(文筆家)
人間は恐いとか愛は美しいとかそんな単純ではない何か、早く忘れたいけどずっと想っていたい、まだうまく言葉にできないけど監督の本気にしびれました。そして今日も男は女に負け続ける。それでいいさ。
鈴木太一(映画監督)
女は怖い――そう思うのは、もちろん男だ。
女が怖いのは、男にとって永遠に分からない存在だから。分からないから、興味あるし、もっと知りたいと思う。
でも、知りすぎちゃいけない。この男・谷中浩平みたいになるから。
谷中浩平は、美しいヒロイン・木下智美の、あまりに深すぎる闇に対峙する。でも、何も解決なんて出来ない。女の真相は、男に絶対に分からないのだから。
木下智美は、モンスターとも言える強烈なキャラクター故に、フィクションとして機能するファムファタールのように見える。
でも、実在していた。この渋谷という街に。
吉田浩太(映画監督)
まるでワインバーのような生活感のないリビングで開かれる結婚パーティの場面から、もう不幸は始まっている。たとえば妻がよく聴くCDとか夫が毎号読んでるマンガ雑誌とか、お菓子の袋でも何でもいいんだが、とにかく若い夫婦の家に横溢しているはずの趣味嗜好品が一切ない。ゾッとする。この家は自分たちのセレブな暮らしを善良な友人に見せびらかすための舞台でしかないのか。いや、そんな家があってもいい。しかしそんな家に住むにはそれなりの根性が要る。ただこの「夫」にそれが足りなかったのだ。ゾッとする。
冨永昌敬(映画監督)
狂気なのにキラキラして見えるのは、崩壊とピュアが紙一重だという証拠。
純粋だからこそ背徳感を感じない。
そしてそれこそが一番のホラー。
エンドケイプ(クリエイター)
猟奇的な事件を猟奇的な人間の犯行に仕立てる。”信じられない”のひとことに集約する。そういった今の風潮に、本作は疑問を投げかける。それは安易な現実逃避にすぎない。事実はもっと複雑だと。そしてこう警告する。誰もが一歩間違えば常軌を逸すのだと。それにしても忍成修吾を起用した眼力はたいしたもの。彼の佇まいがまとうナイーヴさの裏に潜む危うさを生かしたのはこの映画が初めてではないだろうか。
水上賢治(映画ライター)
愛には暴力が伴うのだとすりこまれて育ったふたりの男女の物語。フィクションとは分かっていながらも、時折差し込まれる真っ暗な渋谷の映像に、かつて法廷で見た三橋歌織と智美がリンクする。
高橋ユキ(傍聴ライター)
人間は、なぜ暴力をふるうのか?
チンパンジーが自分の遺伝子を繋げるのを阻害する他者としての同類を惨殺するのは、進化戦略のひとつだ。
人間は、未だに他者を恐れているのか? あるいは、本当は他者と繋がりたいから、暴力をふるうのか?
チンパンジーと人類が枝分かれしたのは、約600万年前。
600万年経っても、他者との和解は不可能なのか? まったく、ホラーだ。
そういうホラー映画として、この作品を捉えてみるのも面白いんじゃないかと思いました。
土屋 豊(映画監督)
男と女の物語である。同時に、姉と妹の物語でもある。姉が何故殴られながら笑っていたのかを、妹が死んだ魚のような目をしていた理由を、わたしたちは最後にまざまざとみせつけられてしまう。その理由を知らぬままバラバラになった彼はもしかしたら幸せだったのではないか、などと不埒なことをずっと考えている。
狗飼恭子(作家・脚本家)
「ほんとうにあったこと」を題材にして、「もっとほんとうのこと」に手を伸ばそうとしているのだが、その、手を伸ばした先にあるのは闇というより、むしろよく晴れた青空のように思え、ぞっとする。
朝倉かすみ(小説家)
現代の夫婦、ひいては男女関係を恐ろしいまでに冷徹に描く。この冷徹さの徹底がホラー系の海外の映画祭での受賞につながったのだろう。舞台で培ってきた演出力が人物描写に活かされていて見事だ
わたなべりんたろう(監督・「週刊朝日」映画欄星取評)
愛は狂気。狂気と言えるほどの愛を経験したことはまだ無いけれども、
人間なんてもしかしたら狂気無しでは居られないのかもしれない。
綺麗事だけでは無い現実を突きつけられた、だってこれ実話だから。
この人生を歩まされた、演じさせてもらった役者陣に嫉妬してしまった。
冨手麻妙(女優)
ぼくは昔からvoyeurism(覗き見)という欲望に興味を持ってきたが、この映画はこの欲望の根幹をとことんえぐってくれる作品。お互いの欲望に翻弄されながら崩壊していくカップルの物語は、まるでぼくと妻のダークサイドを覗き見しているような、恐ろしくも甘美な体験だった。
ロバート・ハリス(作家・DJ)
DVという言葉は親炙の果てに記号化されてしまい、実際には禍々しい暴力であることを忘れかけたりするのだけれど、本作は静かな生活の中で炸裂する「生=性」的瞬間としての暴力を鮮烈に描き、殆ど官能的だった。暴力でしか男と結ばれない女の美しさよ。
港岳彦(脚本家)
相手が居るから自分が何者か分かる。この夫婦にとって己の輪郭を確かめられる、光を当てる方法が暴力だっただけの事。 それらは全て「愛してる。愛してね。」と互いのDNAが疼き求め喜ぶ声に聞こえてなりませんでした。
桜木梨奈(女優)
合コンで出逢った人、学生時代からの友人、姉妹・・・身近にいる人が狂気を宿していない保証など、どこにも無いという
事実に、ひかりをあてている。そこを、しぼると自分自身も含まれているという事に気付く。
渡邊ダイスケ (漫画家「善悪の屑」「外道の歌」)
ふざけんなって思うくらい、心に突き刺さって取れない。あたしも、きっと誰もが、こんな刃を隠し持ってる気がするから。
佐々木心音(女優)